前回に紹介した、力道山韓国訪問(=1963年)後の、韓国系在日メディアにでたインタビュー記事では、こんな部分もある。
記者 例えば、韓国などでプロレスなどをやっても興行的になりたつだろうか。
力道山 国民の生活水準がひくいためいまのところあちらでプロレスリングするのはすすめられないと思う。…
記者 韓国から素質のある選手などをつれてきて養成する気持ちなどあるか。
力道山 先にも言ったように韓国では素質があっても伸び悩んでいる選手が多い。だから私は素質のある選手をつれてきて多いにその持っている実力をのばしてあげたい。今度の訪問でも23歳になるある有望な新人を一人みつけた。旅券の問題などで一緒にくることはできなかったけれどもまあ楽しみである。
このやり取りに注目するのは、1965年前後の韓国のニュースフィルムで、プロレスブームについて扱っていたものがあったように記憶するからである。
そして、そのニュースフィルムでは、キム・イル(大木金太郎)が出てきていて、アナウンサーが"故・力道山の技を引き継ぐキム・イル選手が…"と語っていたはずである。キム・イルは1950年代末に密航して日本にやってきて力道山に弟子入りした人物である。
ということは、"民族の英雄=力道山"、"それを受け継ぎ、日本でも活躍しているキム・イル"ということが、1960年代半ばの韓国では一般的な認識となっていたということであろう。また、力道山の訪韓時に弟子入りしたいという人がいたということは、1960年代初頭ないしそれ以前から、同胞・力道山の活躍、成功が少なくとも一部の韓国人に知られ、憧憬の対象となっていたことを意味するのではないだろうか。
そうだとすれば、ではその情報はどこから伝わったのであろうか。解放直後から1950年代もその後も、いわゆる密航は活発だったからそれに伴ってさまざまな情報が入ったことは間違いない。また、密貿易も展開されていたから、日本の書籍が流入し、日本語の教育を受けてきた人がそれを読んだということは当たり前のようにあったはずである。あるいは、この時代、テレビは韓国の家庭に普及していなかったものの(1964年で3万台)、ラジオ全盛の時代だったから、日本からの電波を聞いていたのであろうか。推測はできるが具体的には私も把握できていない。
記録に残りにくい、日韓間の非公式のルートによる情報の伝わり方、民衆レベルの反応は、かなり大切な点で、本来、もっと注目されるべきだと思う。ただ、その点は今の私の能力ではやり切れない。それを今後の課題として、力道山シリーズも今回で終わりとする。
蛇足だが、WBCでの日本の優勝を朴賛浩が「日本の優勝はとても嬉しかった」と語ったことをもっと日本のマスコミは報道したらどうか。「友情年」が終わったからやらないのか。それと出番が少なかった金城君、ペナントではがんばってくれ。
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