 | | WEB・CD-ROM・DTPのサムクイックがお届けするコラムページ「私的事情」です。
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外村 大 |
左の写真は、韓国ソウル、清渓川の上の橋に建てられた全泰壱(チョン・テイル)の像。勤労基準法遵守を叫び焼身自殺を遂げた人です。像の周りの歩道には、個人や労働組合によるメッセージ入りのプレートが埋め込まれており、興味深く読みました。足元が重要、ちょっと立ち止まって見てみましょう。ずっと、そればかりも困るのだけど…。 |
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力道山伝説の? その(10):なぜ、朝鮮人であることが隠されたか |
2006.2.28
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××県生まれだが育ったのは○○県で、生まれた土地の記憶はまったくない、という人や、本籍は親の故郷なので自分自身は一度もいったこともない、という人間はそう珍しくない。そうした人が、出身地を聞かれてある時はAと言い、別な時はBと述べるケースはありえよう。したがって、相撲の番付である力士の出身地の記載がある時点から変わっていても特に不思議はないし、実際にそういうケースは少なくなかったと記憶する。
したがって、力道山の番付や「星取表」の出身地の記載が変わっていることは別に奇妙なことではない。
だが、前回見たように、同じ時期の朝鮮人力士たちは特に朝鮮人であることを隠してはいない。にもかかわらず、力道山は長崎県出身となっていた。しかも、力道山が幕下で頭角をあらわしつつあった時期の相撲雑誌主催ある座談会では、次のような会話が交わされているのである。
すなわち、ある出席者による、「力道山といふのは、実に相撲がはげしくて体も力士として理想的ですね。腰もいいしああいふのがいっぱしに取るやうになったら相撲を通じて半島人の啓発といふことにつくすことになるんぢゃないかと私はみてをります。この場所二つ勝越したですけれども……」という発言に対して、別の出席者は「なかなか気合が籠っていますね。長崎県の大村うまれで、国民学校も、あそこで卒業したさうです」と言っているのである。
このやり取りからは、相撲協会やその周辺のジャーナリズム関係者の間で、すでにこの時期、"力道山は朝鮮人であるけど、長崎県出身の日本人ということとにする"ことが了解されてようとしていたことが推測できる(しかし、上記の記事がでるわけで徹底されなかったわけであるが)。
ところでそもそも、そうした暗黙の了解はなぜとられたのであろうか。"日本帝国の模範的な朝鮮人"として大相撲の力士として活躍する道はなかったのであろうか。もちろん、そうしたからといって本人の幸せにつながるとは思えないが、上述の座談会出席者の発言にもあるように、それは「相撲を通じた半島人の啓発」にもつながり、日本帝国にとっても好都合だったはずである。
とすればやはり、人気商売であることが関係するかもしれない。音楽やダンスはともかくとして国技である相撲に朝鮮カラーは不要である。しかも、将来を嘱望される力士であったため、入幕前から朝鮮人であることを隠したということであろうか。
だが、結局、なぜ力道山が力士時代から朝鮮人であることを隠していたかについて結論を導くことはできていない。
ただ、この間、力道山関係の資料を読んで感じたことがある。別に目新しい話ではなく、自らのバックグランドを明らかにできなかった状況はあまりにも悲しいということである。そんな彼について、おそらく彼の肉親も見たことがないと思われる古い資料をひっくり返して読むことについて、なんだか申し訳ない気もしたことも弁解めくが記しておく。
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