| | WEB・CD-ROM・DTPのサムクイックがお届けするコラムページ「私的事情」です。
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外村 大 |
左の写真は、韓国ソウル、清渓川の上の橋に建てられた全泰壱(チョン・テイル)の像。勤労基準法遵守を叫び焼身自殺を遂げた人です。像の周りの歩道には、個人や労働組合によるメッセージ入りのプレートが埋め込まれており、興味深く読みました。足元が重要、ちょっと立ち止まって見てみましょう。ずっと、そればかりも困るのだけど…。 |
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力道山伝説の? その(2):長崎は今日も出身地だった…… | 2005.8.2 |
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力道山が朝鮮人の子として生まれ育ったことはどれだけ知られているのであろうか。推測するに、「クールファイブ」のリーダーが前川清ではなく内山田洋であったことと同様によく知られていることに違いない。 ただし、力道山の民族的バックグランドは、かつてはそれほど語られていなかった。割合、よく語られるようになったのは1980年代以降であろう。 近いほうからさかのぼると、1996年には李淳●(馬へんに日)による『もう一人の力道山』が出版されており、1994年には『朝日新聞』や『毎日新聞』等でも、力道山の朝鮮人としての顔について触れた記事が出ている。1980年代について見ると、1983年3月に『Number』でこの話が取上げられており、翌年には『週刊プレイボーイ』にも記事が掲載された。メジャーな媒体ではないが、1983年には朝鮮総連系の日本語誌『統一評論』に北朝鮮で暮らす力道山の娘・金英淑の証言が載せられており、民族団体の新聞にも「力道山にも祖国があった」との記事が1984年に掲げられている。『週刊プレイボーイ』の「スクープ」はこの記事をもとにしている。 しかし、1970年代以前でも、力道山の民族的出自について触れた文献はある。1977年には牛島秀彦が『潮』に発表した記事では、力道山のそれまでの公的なプロフィールを否定し、朝鮮人であったことを記しており、1973年にも『朝日ジャーナル』で「力道山=朝鮮人説」に触れた記事があった。 さらにさかのぼれば、『ゴング』1969年9月号の特別付録「力道山・栄光の歴史」に「…一説には韓国生まれといわれているが…」との文言が見られるという。また、1963年に力道山が韓国を訪れた際、外電の報道をそのままにして「20年ぶりの母国」と報道した新聞があったことも知られている。その他、そもそも1950年代から日本人の間で口コミでは"力道山は朝鮮人"ということはしばしば語られていたとされる。 なお、以上で触れた記事等についてはいちいち自分で目を通したわけではない。笹倉千佳弘「金信洛としての力道山」(岡村正史編『力道山と日本人』青弓社、2002年)を中心に、大下英治『力道山の真実』祥伝社、2004年、牛島秀彦『力道山 大相撲・プロレス・ウラ社会』第三書館、1995年、などを参照してまとめたものである(それにしても力道山関係の文献は多い、疲れました)。 ただ、今日でも朝鮮生まれ朝鮮育ちの朝鮮人であった、ということがよくわからないように記している日本語文献もないわけではない。例えば、割合最近出た人名辞典などの類を見ると、長崎県大村市出身などとなっているケースがある。長崎は今日も出身地だったのである。力道山の出身地が実際には朝鮮であることはそんなに知られていないのかもしれない。まあ、クールファイブがメジャーデビュー前はジャズをやっていたことよりは知られていると思うが……。 |
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