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外村 大 |
左の写真は、韓国ソウル、清渓川の上の橋に建てられた全泰壱(チョン・テイル)の像。勤労基準法遵守を叫び焼身自殺を遂げた人です。像の周りの歩道には、個人や労働組合によるメッセージ入りのプレートが埋め込まれており、興味深く読みました。足元が重要、ちょっと立ち止まって見てみましょう。ずっと、そればかりも困るのだけど…。 |
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力道山伝説の? その(5):そんなわけで人名辞典の類を調べた(韓国編) |
2005.9.22
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以前、韓国人の友人に「韓国在住韓国人の間で一番有名な在日は誰か?」と聞いたことがある。答えは力道山であった。孫正義もまだそれほど有名でなかった時期だからしょうがないが、それ以外にはあまり名前が出てこなかった。特に学術や芸術関係文化人の類の名前はあがらなかった。
さて、韓国では、すでに1976年に出ている『韓国人名大事典』に力道山の項目がある。ちなみにこの本では口絵写真にも力道山が登場している。この時点ですでに韓国で力道山は誇らしい同胞の一人と見なされていたのである。
これ以外に、その後出た事典類にも「力道山」の項目がある。しかし、その内容は『韓国人名大事典』を踏襲したところが多く、その結果として、誤謬を含むものとなっている。
まず、本名である。いずれも本名は金光浩としてしまっている。これは、プロレスラー力道山の本名として通用していた百田光浩の下の名前から考えて、姓は金だから、金光浩としたのであろうが、朝鮮民族としての名前は金信洛である。
また、生年についても、どれも1925年としている。これはたぶん、数え年と満年齢の勘違いから生じた混乱ではないだろうかとも思われるがはっきりしない。
間違いと言えるのかどうか、よくわからないが、あまり日本では(そして北朝鮮でも)言われていない点の記述もある。一つは、「テッコンドーの特技で強敵を倒した」というものである。力道山の得意技は「空手チョップ」である。「空手」を韓国語に翻訳すると「テッコンドー」となるということかもしれないが、多くの場合、事典の記述を読んで、"そうか、わが民族の武道テッコンドーを使ったのか"と解釈するはずである。
もう一つは、「莫大な財産を集め日本屈指の富豪となって多くの体育館・興行場を設立した」という記述も見られる。力道山が事業家であったことは確かであるが、日本屈指の富豪は大げさであろう。またスポーツ施設を持っていたことも事実だが、多くの体育館・興行場を設立したとまで言ってよいかどうか。
こうした記述がなされたのは、おそらく当時の韓国の経済状況が関係しているし、韓国在住韓国人たちが在日朝鮮人についてどう見ていたかを反映していると思われる。1970年代、韓国経済は建設途上にあった。日本との経済格差も大きかった。したがって、韓国在住韓国人はこの時期、在日韓国人="いい暮らしをしている人たち"として捉えていた。そして、実際に、在日韓国人事業家が韓国に投資して事業を行うということもはじまっていたのである。ちなみに、『韓国人名大事典』等には1963年に帰国した際、韓国の体育発展のためにソウルにスポーツセンターを建設することを約束した事実も記されている。
こうして見ると、北朝鮮と韓国のそれぞれの事典類での力道山についての記述は、それぞれの国家や社会のあり方の違いを反映している。記されるのは、北では"資本主義国のレスラーを倒した"ことであり、南では"日本で富豪になった"ことで、かなり異なる。だが、南北の力道山像はある意味では、かなり似ている。民族を忘れず祖国の発展に貢献する人物であることはどちらでも強調されているのである。
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