WEB・CD-ROM・DTPのサムクイックがお届けするコラムページ「私的事情」です。 どうぞごゆるりとお楽しみください。

 
 
 
外村 大 左の写真は、韓国ソウル、清渓川の上の橋に建てられた全泰壱(チョン・テイル)の像。勤労基準法遵守を叫び焼身自殺を遂げた人です。像の周りの歩道には、個人や労働組合によるメッセージ入りのプレートが埋め込まれており、興味深く読みました。足元が重要、ちょっと立ち止まって見てみましょう。ずっと、そればかりも困るのだけど…。
 
キムチの気持ち:その2 諸悪の根源のように言われても……
2005.2.25


  前回、述べたようにしばしば、韓国滞在中の私は食堂で出されたキムチを残したりしていた。そんな私を正しい方向に導いてくれたのは、ソウル大学生食堂の洗い場のおばちゃんであった。ソウル大の図書館に調査に行った際には、私は格安で定食が食べられる学生食堂をいつも利用していたのだが、一度、キムチを残したまま下膳口にお盆を運んだところ、洗い場のおばちゃんが低い声で「ターモゴヤジ(全部食べなきゃだめでしょ)」と言ってくれたのである。ソウル大生でも何でもない私に対する温かい教育的指導であった。
  韓国には年に一度、「先生の日」がある。大学の先生の場合、学生から花をもらったり、キャンパスに「先生たちの学恩は一生忘れません」というような垂れ幕が掲げられて謝意を表されたりすることになっている(普段、激しい政治闘争も展開する学生自治会がそんなことをやるので、最初、冗談かと思った)。「学生食堂調理員の日」があるとは聞かないが、もしあるとすれば、ぜひ、韓国の学生諸君は食堂のおばちゃんに花を贈るべきである。いま、日本にいる私はそんなことはできないが、この場を借りて、あの時のソウル大学生食堂のおばちゃんには感謝を伝え、敬意を表したい。
  前回に続き、雑談を重ねたが、このコラム「キムチ編」では、以下、キムチが日本人にどう捉えられてきたか、植民地期にキムチはどう扱われてきたか等々について述べていくこととしたい。
  今日では、キムチはかなり日本人に愛されている。前回述べたように、あんまりキムチをありがたがらない韓国人なり韓国在住外国人は多々いるのに対して、かなりの現代日本人はキムチを好む。もしかすると、伝統的な日本の漬物より人気があるかもしれない。
  しかしながら、私が子どもの頃(1970年代あたりまで)は一般的な日本人がそんなにキムチを食べていたとは考えられない。昭和一ケタの私の父母はキムチを食べることはなく(というかニンニクはだめ、一度韓国をいっしょに旅行した時は困りました)、したがって、私も親元を離れるまではほとんどキムチを食べることはなかったのである。少なくともいまの30代後半以上の世代はたいがい、キムチ(昔風の言い方だと「朝鮮漬」)が不当に日本人によって虐げられていた過去について知っているであろう。
  このへんはいわば常識なのであるが、皇民化政策が本格化していく時期のころの新聞を眺めていて、キムチの害を説く「科学的」研究が行われていたことを伝える新聞記事を見つけて少々驚いた。それによると、京城帝国大の某助手がある学会で発表した論文に"朝鮮人の骨格は背が高い割に胸幅がせまい「無気力体質型」が多く、その原因はキムチの常食にあり"というものがあったというのである。私自身、これに関連した自然科学の知識はまったく持ち合わせおらず、論文自体を読んだわけではないが、どう考えても、論旨に無理があるだろう。朝鮮文化の否定、日本への同化の遂行という時代状況のなかで、キムチは諸悪の根源にされてしまったのである。
ちなみに、この研究を行った研究者には学会の名誉ある奨学金が与えられたとも伝えられている。

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04.07.20 第1回:確かにブームではある
04.07.24 第2回:朝鮮語教師のVサイン
04.08.12 第3回:個人的記憶でさかのぼる過去の「韓国ブーム」
04.08.20 第4回:最古の「韓国ブーム」はいつか
04.08.28 第5回:では、「朝鮮ブーム」はどうだろう
04.09.17 第6回:K−POPは知らないけれど……
04.10.02 第7回:前回の補足、中間のまとめと今後の見通し
05.02.04 第8回:キムチの気持ち:その1 過剰な意味づけはやめてくれ!

 


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