WEB・CD-ROM・DTPのサムクイックがお届けするコラムページ「私的事情」です。 どうぞごゆるりとお楽しみください。

 
 
 
外村 大 左の写真は、韓国ソウル、清渓川の上の橋に建てられた全泰壱(チョン・テイル)の像。勤労基準法遵守を叫び焼身自殺を遂げた人です。像の周りの歩道には、個人や労働組合によるメッセージ入りのプレートが埋め込まれており、興味深く読みました。足元が重要、ちょっと立ち止まって見てみましょう。ずっと、そればかりも困るのだけど…。
 
キムチの気持ち:その3 帝国末期の脚光?
2005.3.18


  研究者じゃない方々にとっては、かなりどうでもいい話であろうが、学術研究の世界にも「流行」がある。もちろん、研究者のなかでも、そんな「流行」などどうでもよいと考えて自分が重要と思うテーマを追いかけている人もいる。ただ、やはり、最近の研究動向を押さえるのはそれなりに必要だ。それと、市場経済という現実がある以上、出版社などにとっては"何が流行っているか"は重要であろう。
  そんな話をついしてしまうのは、さっき、自分の住んでいるまちの図書館の所蔵目録をインターネットで検索したからである。検索のキーワードは「越境」で、予想外に多く129件と出た。うち61件は2000年代に入ってからの出版、49件が1990年代の出版である。実際、「国民国家の相対化だ」なんだと言われ始めた頃から、「越境」は流行ってましたね、と改めて確認(もちろん、「越境」というタイトルが入っている本でも内容的にそれと関係ないものもあるが)。しかし、私が探していた本は、学界の「流行」とは無縁のものである。お目当ては、1910年に生まれた朝鮮人社会主義者=民族主義者・高峻石が著した『越境−朝鮮人・私の記録』。これは、1977年刊行で、出版年別にソートすると3番目に古い。
  もちろん、古いからえらい、という話ではない。この本は、一人の人間のライフヒストリーであるが、植民地問題、あるいは朝鮮革命運動史、近代日本社会史、民衆生活史等々に関連する興味深い事実の証言を含み、さまざまな示唆を与えてくれる。
 さて、本にもキムチの話が出てくる。高峻石氏は、1920年代半ばに済州島から大阪にやってきて日本人夫婦が経営する鍛冶屋で働くこととなる。しかし、ある時、朝鮮人たちの「土工部屋」に遊びに行き、キムチとカクテキを「たらふく食べ、忘れかけていた味を確かめた」。そして、「その翌朝、鍛冶屋の徒弟・私たちが寝泊りする家の老婆が便所が臭いと騒ぎ出し、路地の共同水道場に集まったおかみさんたちが、『ほんまかいな! うんこまで臭いんかのー、朝鮮人は!』と、私に聞こえるほどの声で話しながら鍛冶屋の仕事場の方へ視線をしきりに向けた」という目にあう。差別に憤った高峻石氏はこの鍛冶屋をやめてしまうのだが、いずれにせよ、差別がいかに酷かったかを物語るエピソードである。
  しかし、同じ本には、戦争末期、日本人たちが朝鮮の食べ物を急に誉め出したという話も紹介されている。戦争末期の時点では高峻石氏はソウルにいたのだが、「日本人植民者たちが急に『温順』になりはじめた。それまで蔑視していた朝鮮人の御気嫌をとるようなことをいったり、唐辛子やにんにくにはビタミンCとか何かが沢山あるから人間の身体に非常にいいとか…朝鮮人の風俗・習慣を賞めたたえる記事が新聞や『学術書』にまで現れるようになった」「朝鮮料理など食べられたものではないと蔑んでいた連中が、ぜひ朝鮮料理を食べさせてくれと頼んだり…するようになった」というのである。
  そうだとすれば、前回述べたように、食べ過ぎるとバカになるというような「研究」すらあったキムチも、脚光を浴びたはずである。ただ、急に戦争末期に日本人が朝鮮料理をほめ出したという話は、ほかの史料では裏付けられない。あるいは、高峻石氏の周辺のみの話ではないかとも思うのだが……。

Back Number
04.07.20 第1回:確かにブームではある
04.07.24 第2回:朝鮮語教師のVサイン
04.08.12 第3回:個人的記憶でさかのぼる過去の「韓国ブーム」
04.08.20 第4回:最古の「韓国ブーム」はいつか
04.08.28 第5回:では、「朝鮮ブーム」はどうだろう
04.09.17 第6回:K−POPは知らないけれど……
04.10.02 第7回:前回の補足、中間のまとめと今後の見通し
05.02.04 第8回:キムチの気持ち:その1 過剰な意味づけはやめてくれ!
05.02.25 第9回:キムチの気持ち:その2 諸悪の根源のように言われても……



Copyright(C)2004 Sum Quick All Rights Reserved.