WEB・CD-ROM・DTPのサムクイックがお届けするコラムページ「私的事情」です。 どうぞごゆるりとお楽しみください。

 
 
 
外村 大 左の写真は、韓国ソウル、清渓川の上の橋に建てられた全泰壱(チョン・テイル)の像。勤労基準法遵守を叫び焼身自殺を遂げた人です。像の周りの歩道には、個人や労働組合によるメッセージ入りのプレートが埋め込まれており、興味深く読みました。足元が重要、ちょっと立ち止まって見てみましょう。ずっと、そればかりも困るのだけど…。
 
第3回:個人的記憶でさかのぼる過去の「韓国ブーム」
2004.08.12


  「ブーム」は英語の"Boom"であり、となると経済状況の「景気」の意味もある。これについては日本政府があれこれと発表してくれることとなっている。現況が上向きであるとか、底を打ったとか、判断が示されるのはご承知のとおりで、そこから好景気の始まりと終わりも(様々な経済指標の確定値が出た後)明確にされることになる。もっとも、経済的な景気の話は、しばしば庶民の実感とはズレていたりする。少なくとも、一般的な製造業とも卸売小売業ともほとんど関係のない業界の、しかも不安定就労者でありつづけている私個人にとっては、「2004年に入って景気が上向きだ」とか、「バブルの頃はよかった」とか言う話はまったく何のことやら意味不明である。
  これに対して、「韓国ブーム」は、(それに関わる業界、いや学界か? に所属している―少なくとも自分ではそのつもり―から当たり前だが)個人の実感としてもわかる。これは前2回のコラムで述べた通りである。
  ただし、「韓国ブーム」の場合、その起点・終点、ピークや規模がどのくらいかといったことはつかめない。日本人の韓国旅行者数、日本国内のキムチ出荷額、コンビニの新規韓国関係商品数、朝鮮語学習者数、韓国関係出版点数、主要雑誌の韓国関係記事ページ数、韓国料理店の景気認識などを、四半期ごとにでもどこかの機関が集計して、ブーム判断をしてくれないか、とも思うが、たぶん実現しないだろう。
  しかし、統計指標を用いなくても、「あの時期は韓国ブームだったよね」といった認識は得られるはずである。もっとも、実感でしか語れない部分があるので、そういった認識は、どこまで多くの人たちと共有できるかは疑問であるが。
  とりあえず、個人的な記憶から、過去の「韓国ブーム」だったと言えそうな時期、画期がいつであるかを述べてみよう。ちなみに、私は1966年生まれなので、ある程度世の中のことがわかるようになったのは1980年代以降である。
  近いほうから重要な年を挙げれば、まず2002年を抜かすわけにはいかない。言うまでもなくワールドカップが行われた年である。次に1988年。ソウルオリンピックが開催された年であり、日本人の韓国に対する注目はその前後に比べて高かったと見てよいだろう。このあたりは、常識的な話だし、現在生きている人たちのほとんどにとって記憶に新しいと思う(といっても、88オリンピックももう16年も前でいまの20歳前後の人でもあんまり記憶にないだろうが)。
  しかし、ここでもう一つ、私は1984年という年も挙げておきたい。この年、全斗煥大統領が来日して昭和天皇や中曽根首相と会い、「日韓新時代」が宣伝された。韓国の国家元首の公式訪問はこれが始めてであった。もちろん、これは政治的セレモニーに過ぎない。しかし、様々なメディアで韓国文化の紹介が増えたのも恐らく事実で(これも政治主導の面もあっただろうが)、NHKの語学講座「アンニョンハシムニカ?」もこの年開始である。在日経営の「焼肉屋」ではない、「韓国料理」の店が出来始めるのもおそらくこの頃と思う。


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第1回:確かにブームではある
第2回:朝鮮語教師のVサイン



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