| | WEB・CD-ROM・DTPのサムクイックがお届けするコラムページ「私的事情」です。
どうぞごゆるりとお楽しみください。 |
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外村 大 |
左の写真は、韓国ソウル、清渓川の上の橋に建てられた全泰壱(チョン・テイル)の像。勤労基準法遵守を叫び焼身自殺を遂げた人です。像の周りの歩道には、個人や労働組合によるメッセージ入りのプレートが埋め込まれており、興味深く読みました。足元が重要、ちょっと立ち止まって見てみましょう。ずっと、そればかりも困るのだけど…。 |
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力道山伝説の? その(11):1963年訪韓後のインタビュー記事 |
2006.3.13
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2月以降、サムクイックの体制確立に伴い、コラムが順調に更新され続けている。感謝する次第である。ただし、この間、更新されていたのは昨年すでに書いていた、ストック原稿である。しかし、それも前回で底をついた。
何でそんなことをわざわざ記すのかというと、1月以降、いろいろ別件の原稿が滞っている状態がずっと続いていたからである。つまり、このコラムを見て"こっちには原稿を出していないのにこんなくだらない文章を書いているのか"と激怒しかねない人が何人かいたのである。いや、正確に言うと、年末に締め切りだったはずの原稿で現在に至るも提出していないものが1本あるのでまだ、皆無ではない。でも、「私的事情」を読んでいる人もそんなに多くないだろう、と判断する。それに映画「力道山」も日本で封切となったようなので、しつこく、原稿を進める。
1963年に力道山韓国を訪問している事実は、いくつかの著書で述べられている。「同胞」を迎えた韓国側の報道の様子、日本の新聞のなかに「母国訪問」と伝えた、つまり、力道山の民族的出自を明らかにした記事があったこともすでに触れられていたと記憶する。
では、在日メディアはどうであったのだろうか。これについては、韓国系の民族団体の機関紙に「力道山に訪韓の印象を聞く」というインタビュー記事が掲載されていることが確認できる。そんなに長い記事ではないが、少々、興味深い部分もある。
まず、韓国系のメディアのインタビューに答えているにもかかわらず、当時の韓国の経済状況の厳しさを率直に指摘している。ただし、それは、当時の韓国の人々に対する前向きの評価とも結びついている。「国民生活は苦しいようだ。しかし、…みんな意欲にもえて建設にはげんでいるようであった。二十余年前にくらべれば大変な発展であり、希望的なものがいっぱいであった」と彼は述べている。ちなみに、記者の発言によれば、朝鮮半島訪問は22年ぶりということである。1963年と、そこから22年前の時点を比較すれば、確かに人々の「希望」「意欲」は天と地の差であっただろう。引き算が出来てもそのことを想像することができない人も日本にはいるようだが…。
また、祖国への関心、貢献への意思も語られている。「帰化していても韓国の事はいつも心配している」と語ったとされ、「プロレスリングなどが国民の建設に必要なファイトをひきおこすに役立てば」との考えも示している。もちろん、このあたりは、もちろん、韓国系組織へのリップサービスなのかもしれない。
そして、最後に"日本の芸能界やスポーツ界で活躍するスターには韓国系の人が多数いるが、韓国系ということを発表して人気にかかわることはないか"との記者の質問に力道山はこう答えている。「中には韓国系というのを絶対発表したがらない人がいるが、実力があればどうということはないと思う」。
だが、この発言は、力道山ほどの実力があるスターがどうして、「コリア系」であることを隠すのか、ということになってしまう。しかし、この記事は「忙しいところどうもありがとうございました」という記者の言葉で締め括られている。
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