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WEB・CD-ROM・DTPのサムクイックがお届けするコラムページ「私的事情」です。
どうぞごゆるりとお楽しみください。 |
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外村 大 |
左の写真は、韓国ソウル、清渓川の上の橋に建てられた全泰壱(チョン・テイル)の像。勤労基準法遵守を叫び焼身自殺を遂げた人です。像の周りの歩道には、個人や労働組合によるメッセージ入りのプレートが埋め込まれており、興味深く読みました。足元が重要、ちょっと立ち止まって見てみましょう。ずっと、そればかりも困るのだけど…。 |
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第5回:では、「朝鮮ブーム」はどうだろう |
2004.08.28
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朝鮮の歴史や文化について大学で授業をやることになって、少々驚いたのは「大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は別の国だから文化も別」と認識している人が結構多いことである。朝鮮が、半世紀以上の長い間、国際関係・イデオロギーの対立で分断を強いられているにせよ、文化が軍事境界線で引き裂かれているわけではない。もちろん、分断が文化にも影響を与えていることは確かだが、それを克服しようという努力も続けられている。
さて、現在の「韓国ブーム」は、まさに「韓国ブーム」であって、発信者は軍事境界線以南の領域の人たちであり、日本人の関心もその領域の文化や人々に向けられている。「冬のソナタにはまったので次は北朝鮮の連続ドラマを見たい」という人はどうもいないようだし、「韓国料理がうけているから次は平壌から冷麺を輸入して大もうけしよう」と考える食品関連企業があるという話も聞かない(冷麺は平壌が本場とされています、念のため)。しかし、軍事境界線で文化が分けられるわけではない。韓国ブームであるならば、少なくとも北の人々との紐帯を取り戻そうとしている韓国の人々の思いといったものも踏まえて、北朝鮮への関心や紹介が日本においても増えるとよいのだが、などとも思う。
ところで、「韓国ブーム」ではなく、「朝鮮ブーム」はかつてあったのだろうか。これまたブームと言えるかどうかは疑問にせよ、北朝鮮を排除しない形で、あるいは北朝鮮が発信者となって、朝鮮に対する関心が高められようとしたことはないわけではない。1970年代初頭には、一般の人々も手に取る有名な雑誌で朝鮮が特集されたり、「別冊」が出されたりしている。もっとも、これについては朝鮮総連が日本のマスコミに対して働きかけたことが影響しているとも言われている。しかし、そうであったにせよ、やはり、朝鮮、特に北朝鮮に対する関心がこの時期、日本人の一部で存在していたことは間違いないだろう。経済的には北朝鮮が先を行っていると考えられていたし、同時期の「社会主義」中国との関係改善も幾分、影響していたかもしれない。
また、1950年代半ば以降、日朝友好運動はそれなりに盛んであった。朝鮮の歌や踊り、映画などの文化はそれなりに紹介されてきた。前回のコラムで書いたように、1960年代までは、韓国に対して一般的な日本人のイメージはあまりよいものではなかった。これとは逆に、帝国主義に反対し社会主義的改革で国づくりを進める北朝鮮に好印象を持つ人々が少なからずいたのである。これはいわゆる革新系の人々である。
したがって、日朝友好運動の日本人側の担い手は社会党と労組であった。このことは否定できない。しかし、先日、故郷に帰った際に、1950年代末には地元の夏祭りのメインイベントに「朝鮮歌舞団」が出演していたことを知り、少々驚いた。在日朝鮮人の存在を考えれば、当たり前のことなのであるが、革新基盤でもなければ、朝鮮との縁が深いわけでもない地域でも、朝鮮文化は身近なものであり、日朝友好運動はそれなりに広がりを持っていたのである。
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