WEB・CD-ROM・DTPのサムクイックがお届けするコラムページ「私的事情」です。 どうぞごゆるりとお楽しみください。

 
 
 
外村 大 左の写真は、韓国ソウル、清渓川の上の橋に建てられた全泰壱(チョン・テイル)の像。勤労基準法遵守を叫び焼身自殺を遂げた人です。像の周りの歩道には、個人や労働組合によるメッセージ入りのプレートが埋め込まれており、興味深く読みました。足元が重要、ちょっと立ち止まって見てみましょう。ずっと、そればかりも困るのだけど…。
 
キムチの気持ち:その4 学校の中の差別
2005.4.04


  前回触れた『越境』という本の著者である高峻石氏は、1938年8月に治安維持法に引っ掛けられ逮捕された経歴を持つ。具体的な犯罪事実の容疑は、共産党再建や自分の通う早稲田大学の朝鮮人留学生団体の左翼化を試みたといったものであった。実際には左翼文献の学習会をやったり、留学生団体の集まりでせいぜい植民地統治批判の演説を行ったりといった程度であったようだが、それすらこの時期には罪となったのである。高峻石氏は翌年11月、執行猶予付きながら懲役2年の判決を受ける。しかも、早稲田大学は「長期欠席、授業料不納」という理由で高峻石氏を除籍していた。なんとか復学をさせてほしいと交渉したところ、学生課長が復学を拒否、「命だけでも助けてもらったのだから日本の国体のありがたさを知りたまえ」と言い放ったことを、高峻石氏は鋭い筆致で記している。
  ただ、大学当局に対しては批判的であるが、早稲田で学んだことについては「悔いはない」とも彼は記している。そんなこともあってか、高峻石氏は自著『越境』を早稲田大学中央図書館に寄贈している。ちなみに、「高峻石」という署名はハングルで記されている。この時期、朝鮮語を勉強していた日本人などごく少数なわけであるが、どんな気持ちで署名をしたのか、高峻石氏もすでにこの世にはなく、うかがうすべもない。
  まがりなりにもある程度人格が形成された時点で、自分が責任を持つ思想を理由に学校で迫害を受けるのはまだましであろうが、在日朝鮮人児童の場合、しばしばより深刻な事態に直面するケースもあった。その際、キムチが関係した例もある。
  1932年生まれの在日朝鮮人・高史明氏が、自身の生い立ちを少年向けに書いた『生きることの意味』も、私がいろいろ学ばせてもらった本である。その中に、小学校の時(つまり、皇国化政策期であり、戦中である)、弁当にキムチを入れて持っていきそれがからかわれるという話が出てくる。高史明氏はそれが原因で級友たちと喧嘩し、その後自分が「暴力のとりこ」となってしまったことを述べた上で、それは「わたしたちの未熟さのあらわれであるとともに、あの暗い時代の関係をもあらわすものだったのでした」と記している。ちなみに次のような記述もある。「第二次大戦のあと、軍国主義に変わってこの日本に登場した民主主義が、社会のすみずみに広まり根づいてくるにつれて、朝鮮人が朝鮮のつけものであるキムチを食べるからといって軽蔑されることも、しだいになくなりつつあります。キムチは、いまではデパートでも売っているのです。ところが、あの時代においては、キムチ一つが衝突の原因にもなったのでした。それは、朝鮮人だけでなく、日本人にとってもまことに暗い時代だったといえるでしょう」。
  付言すれば、高峻石氏の本には、彼を助けてようとした日本人教授の存在、高史明氏には彼を差別せず励ました日本人教員のことがそれぞれ紹介されている。当たり前だが、あの時代でも朝鮮人の人格を認める日本人もいたのである。
  民族差別=キムチ差別の話が続いたが、そんなわけで次回は"キムチの友だった戦前の日本人"について話を進めたい。

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04.07.20 第1回:確かにブームではある
04.07.24 第2回:朝鮮語教師のVサイン
04.08.12 第3回:個人的記憶でさかのぼる過去の「韓国ブーム」
04.08.20 第4回:最古の「韓国ブーム」はいつか
04.08.28 第5回:では、「朝鮮ブーム」はどうだろう
04.09.17 第6回:K−POPは知らないけれど……
04.10.02 第7回:前回の補足、中間のまとめと今後の見通し
05.02.04 第8回:キムチの気持ち:その1 過剰な意味づけはやめてくれ!
05.02.25 第9回:キムチの気持ち:その2 諸悪の根源のように言われても……
05.03.18 第10回:キムチの気持ち:その3 帝国末期の脚光?

 


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