朝鮮総督府が刊行していた、雑誌『朝鮮』1937年8月号に、河野節夫「味覚の朝鮮」なる文章が掲載されている。朝鮮在住者であるこの人物もキムチびいきであり、次のように記している。
…朝鮮食物の美味の王者は何か、と言へばそれは勿論漬物だ。キムチだ。これは見掛けが悪いから下級の食物だと思ふやうな人は歯牙にかけるに足らぬ人物だと揚言しても過言ではあるまい。…料理屋に行っても朝鮮に永住しているものは、他の副食物にも目も呉れないで、これを持参せしめ唐辛子の為、赤くなったようなこの漬物を口にして涙を流しながら感嘆の辞を放っている。
しかし、いささか興奮気味にキムチを賞賛して止まないこの人物も実は最初はキムチを敬遠していたようである(朝鮮在住日本人の先輩に歯牙にもかけられなかったかどうかは知らないが)。同じ記事の中で、「実は恥しながら、私も来て当初の両三年は、この漬物に振向きも為さなかった。ところが田舎を旅行しているとき、昼食の代りに蕎麦の中にキムチを入れた簡単食を摂ったが、これが今でも忘じ難い味覚の一であった。そして現在では常食党となって了つた」ことを記しているのである。
では、長期的に朝鮮に住むわけではなく、短期的に朝鮮を訪れた日本人旅行者はキムチとどうのように出会ったであろうか。旅行となれば、食べ物が楽しみの一つであり、当然、朝鮮料理も紹介され人気を博していたに違いない、と思うがそうでもない。日本人観光客もよく連れて行かれることになっている高級朝鮮料理店の料理は、当時の資料を見る限りあまり評判が良くない。キーセン目当ての客が中心のため料理が堕落し、日本料理や西洋料理と混合し、本来の朝鮮料理とはいえないものが出てくるといったことになっていたらしい。そんなこともあってか、例えば、『朝鮮』1938年7月号掲載の「朝鮮観光を勧」では、「朝鮮料理なるものは、美味求真党を垂涎せしめる程のものでもないが、全旅程中一夕は、朝鮮料理で一酌を催すのも面白かろう」として、あまり積極的には朝鮮料理を勧めていない。
朝鮮をよく知らない日本人に朝鮮在住者がいろいろとレクチャーする対話形式で書かれた、高松健太郎『朝鮮ッてどんなところ』(大阪屋号書店、1941年)においても、朝鮮料理自体の記述はそれほど多くはない。しかも、朝鮮料理の項目は、「朝鮮料理ッてうまいか?」「うまいもまづいも好き不好きだが…」という前置きから始まっている。
ただし、そこでもキムチについては礼賛されている。「山海諸種の味が渾然として一つになった所に何ともいへぬ味がある。はじめの中は誰もプンと来る臭を嫌がって食べないが、朝鮮が久しくなるにつれて大好きとなる」と朝鮮在住者は力説し、相方は「それでは是非みやげに買って帰りたい」と述べているのである。だが、日本人の旅行鞄に入れられキムチが玄界灘を越えてくる、といったことはどれほどあっただろうか?
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