「春香伝」が日本で紹介される際、どういうわけだか、“日本の忠臣蔵のような話”と言われるケースが多い。似た点がないわけではない。大概の日本人は忠臣蔵を知っているように、朝鮮人だったらほとんど誰でも春香伝を知っている。趣向を変えて何度も演劇や映画になっているのも両方に共通している。
だが、忠臣蔵と春香伝のストーリーに類似する点はない。そもそも春香伝は、春香と夢龍の二人の若い男女の恋愛を軸にした話だ。しかも、忠臣蔵は主君に忠義を尽くすという封建時代の倫理に沿った話だが、春香伝は、身分制度を超えた恋愛であり、悪い役人にいじめられ、獄に入れられながらも、節を曲げないという、反封建・反権力の要素も入っている。そんなあたりが、虐げられてきた朝鮮の庶民に春香伝が愛されてきた理由の一つになっていると見て差し支えないだろう。
という余計なことを考えながら、上原敏+田中絹代の「春香伝」を聴いてみよう。歌うのは上原敏で、田中絹代は台詞のみ、当然、上原が夢龍、田中は春香である。昔(私がいう昔なので、1970年代以前を想定されたい)の大河ドラマのテーマソング風の前奏の後に出てくる上原夢龍の歌詞は「桃咲く園の夕まぐれ/仮寝に結ぶ夢浅く/けむる高楼飛燕に/誓いし恋も陽炎か/ああ儚しや広寒楼」というもの。これに続いて、田中春香が、別れの形見にいただいた鏡を抱きしめ夢龍との日々を思い出し、夢龍の迎えが来ないことをなげく台詞を入れる。この後、間奏が入り、同じパターンが続いて終わりである(SP盤は晩年のコルトレーンの1曲の10分の1くらいの長さしか収録できない)。そんなわけで、レコードの「春香伝」では夢龍は南原にも着かず、したがって春香はまだ助けられていない。
それと同時に、反封建反権力も出てこなければ、女性は待つばかりというジェンダー的にも問題のある内容となっている。こんなことは学部の学生のレポートでも分析していそうな話で指摘するのが恥ずかしいのだが。
付け加えれば、メロディも楽器も朝鮮を感じさせるものは、私には読み取れない。歌詞の内容も、驢馬が出てくるあたり、日本でないことがわかるが、朝鮮の風景を詠みこんでいるわけではない。そもそも、「むりゅうさま…」「しゅんこうは…」と、人名を日本語読みで発音するの個人的には違和感がある。しかし、当時の日本人は逆にチュニャン、モンリョンでは違和感があったのだろう。
要するに、日本人に受け入れられる程度のエキゾチズム+純愛でヒットを狙ったのがこのレコードだと言えよう。発売されたのは1939年12月頃のようだ。【参照】
この時期には日中戦争泥沼化で、軍事動員ないし労務動員で恋人と引き裂かれた日本人、朝鮮人の若者がそろそろ目立ち始めた頃のはずである。純愛モノを単純に楽しめる人がうらやましい。そんなこと考えるのは歴史研究者の悪い癖か。 |