今日も動物園に来た。ゾウをしげしげ見つめていると、彼らがときどき、ぼーっと空を眺めているのに気がついた。空を飛んでみたいのだろうか? 飛べるはずがない。でも、もし飛んでみたいのなら、そうさせることはできるかもしれない。ヘリコプターで吊して、スカイ・トラベルだ。大きな耳をばたつかせて、ヘリコプターをサポートするかもしれない。そういえば、先日、牛がヘリコプターに吊されて運ばれるという映像をニュースで見たが、そのとき、牛がどう思ったかは微妙な問題だ。
太陽も傾き始めた頃、ちくは、大きい筒を抱えてゾウ舎の前に現れた。そして、ちくは、その筒からB0サイズに印刷された父親の写真を取り出した。「なにしてんの?」と聞くと、「それはこれからのお楽しみ」と、ちくは小悪魔のような微笑みを浮かべた。ゾウ舎でもっとも歳をとった「バーミヤン」。このオス像は写真を見るやいなや、雄叫びをあげる。どことなく嬉しそうだ。でも、なぜだ。ちくの父親が死んだのは、もう数年も前の話だ。7,8年は軽く過ぎている。バーミヤンはその写真を一瞥しただけで、ちくの父親だとわかったのだろうか?
ゾウは記憶がずばぬけてよい動物だと言われている。その根拠はどこから来たのかよくわからないが、タイやインドでは古くからそう言い伝えられているらしい。ゾウの飼育係がしばしば口にすることだが、何年も会っていなくても、飼育係の顔を覚えているようだ。しかも、髪がすっかり抜けて禿げたとしてもだ。そういえば、あの不思議な老人は、いつかこんな話をしていた。「第2次世界大戦後まもなく、西ドイツの動物学者ベルナルド・レンシュ(B.
Rensch)は、ゾウの記憶能力を調べる研究に着手した。若いアジアゾウに、視覚図形のペアを見せる。例えば、一方は「△」で、もう一方は「○」といったように。そして、「△」の図形の方を鼻でタッチすれば、餌がもらえることを訓練する。この「○/△」の区別ができたら、次は新しい図形ペアを導入していく。こうした作業を続けた結果、ゾウは、80ペアもの図形を覚えた。しかも、すいすい覚えた。おまえが同じ課題をやっても、そこまでできるまい。ゾウをなめたらあかんぞ。」
この話を聞いたときは、かなり衝撃だった。だって、動物がそんな賢いとは思っていなかったからだ。それにしても、気になるのは、そういうことを調べようと思った学者のことだ。敗戦直後に、やらなきゃだめだった研究なのだろうか? 学者というのは不思議な人たちである。
バーミヤンはどことなくそわそわしている。ちくの父親の写真は、バーミヤンのスキンシップにより、すでにぐしゃぐしゃになっている。よほど懐かしかったのだろう。それを見ていたちくは、複雑な表情をしながら、バーミヤンを見つめている。父親を圧死させてしまったバーミヤン。彼の記憶には、父親の顔だけが残っているのだろうか? それとも、あの日のできごとも、いっしょに保持されているのだろうか? そして、ちくの頭にも、あの日の光景がいつまでも焼き付いている……。
「記憶。こんなものさえなければ、もっと楽だったわ。あの日のことはすぐ忘れられただろうから。でも記憶がなければ、わたしがわたしであることは曖昧になり、わたしの存在意義は果てしなく塵ほどのものになりさがるはずよね。だから、バーミヤンもね、記憶しているはずなのよ、あの日のことを。だから、彼もここに存在する意義があるの。きっとそうよ」と、ちくは言った。彼女が言ったことばの意味を完全に理解したとは思えなかったが、僕はそんなちくを見つめながら、ゾウが空を飛ぶ姿を想像していた…。
|