WEB・CD-ROM・DTPのサムクイックがお届けするコラムページ「私的事情」です。 どうぞごゆるりとお楽しみください。

 
 
 
ロンドン小林 1973.8.24 B
某国立T大院卒、 博士号、一応あり。米国留学を経て、現在「宇宙のその先」について夢想中。最近は「ニュースジャパン」の滝川クリスタルがお気に入り。ニュースなのに、なぜか妖艶なあの雰囲気。おにゃんこ世代の心、ときめく。
 
僕とゾウ [No.4]
2004.08.23


  不思議な老人のはなしは、その後も延々と続いた。炎天下の下で、僕は、老人の話をまともに理解できなかった。目の前にいるゾウは何食わぬ顔で、水浴びをしている。

  僕には「妹」がいる。正確に言えば、契約した「妹」だ。名前は「ちく」。ちくとは、2か月前、ゾウの前で知り合った。ちくは、ゾウの前でいつも手を合わせ、なにかを念じていた。ある日、ちくに、なぜゾウの前で手を合わせているかを聞いてみた。

  「わたしのお父さんは、ゾウの飼育係だったの。ゾウのことが大好きで、ゾウ使いの間では神様と言われていたわ。ゾウに指示を与えて、右に左に操り、それはそれは、ダンスを踊っているようだった。でも、死んだの。大好きなゾウにつぶされた。」 ちくは、そう語った。

  たしかに、ゾウの飼育で死んでしまった人は後を絶たない。米国では、ゾウの飼育に関わっている人が約600人おり、そのうちの最低1人が毎年ゾウによって殺されている。この数字は、警察官やパイロットなどの危険な職業の在職死亡率よりもきわめて高い。多くの場合、犠牲者は、檻の中で逃げ場を失い、圧死する。ゾウはただ近づくだけなのだが、あの大きな身体だから、叩いても殴ってもかじっても、動かせない。だから、挟まれたらそれで終わりだ。ゾウの飼育はかなりの訓練を要するし、たいがいは動物園の中でも飼育のプロが担当する。当然、ゾウと飼育係の間には、なにかしらの信頼関係が芽生えており、非常に仲がよいように見える。だが、事故は起こってしまう。

  こうした事故をふまえて、米国では間接飼育(protected contact)を推進している。間接飼育とは、放飼場に人間が立ち入らずに飼育する方法である。たしかに、これは安全だし、合理的ではある。だが、間接飼育にも問題はある。ゾウが病気になったとき、ゾウを動かせないのだ。だから、下手すると、死ぬまで放っておかなければならない。一方で、これまでの直接飼育(ゾウを訓練して歩かせたり座らせたりして飼育する方法)であれば、ゾウは人に慣れているので、採決して血液検査などができる。また歩かせて移動させたりもできるので、いろいろな処置が可能になる。日本では。おもにこの直接飼育を採用している。このあたりは、欧米と日本と動物一般に対する捉え方の違いが現れているのかもしれない。

  ちくは、お父さんの事故に関して、こんなことを言う。「きっと、ゾウはお父さんと仲良くしようと思って、スキンシップをはかったんだと思う。でも。。。これが、動物と人間の間にある大きな壁だよね。他者のことは、自分のものさしでしかわからない。」 スコット・フィッツジェラルドの小説「グレード・ギャッツビー」の冒頭で、主人公の父は、「むかつくことがあっても、おまえの基準だけで考えるな」と述べているが、ちくの父は「こころが通い合っていると思っても、それはおまえの基準でしかない」とつねづね語っていたそうだ。そういう父も、結局は、そのことを徹底できず死んでしまった。人間は、他者の気持ちを汲み取りすぎる。それが錯覚であることが得てして多いにもかかわらず。。。

 そんなちくとは、なにかしら惹かれあうところがあり、でも恋人同士の関係でもない。そこで、ちくは、僕の妹になることを申し出た。悪くない提案だ。こんなわれわれは、ゾウの前で、きょうだいになった。


【参考文献】
「動物園にできること -種の方舟のゆくえ」(1999)
川端裕人(文藝春秋)


Back Number
  04.7.8  僕とゾウ [No. 1]
04.7.11 僕とゾウ [No.2]
04.7.18 僕とゾウ [No.3]

 


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