人間、生きていると色々なことがあるもので、悲しいことや上手くいかないことなどがあるたびに落ち込んでいると落ち込むこと自体が面倒くさくなります。つまり、「だっる〜」という状態。
別にそれほど順風満帆な人生を送っているわけではないので、大概の苦境には慣れているのです。ただ、色々と頭を働かせることが面倒くさくなってしまったりはします。そんな時は、逃げ出したいというより、目的なく歩き出してみたいなどと考えたりしたものです。
お遍路もそんな「目的なく歩き出す」ツールであったのでしょう。何せ、1300kmも歩くのですから、そんじょそこらの暇つぶしとはわけが違います!かなり夢のでかい暇つぶしであるのでした。
歩くこと自体が苦痛じゃなくても、1300kmも歩けばさすがに何かが得られるのではないかと私は考えました。これはまごうことなき修行であると。そして修行で得られるものは、「煩悩の切り離し」であると勝手に断定しました。この「煩悩を捨てる旅」というフレーズはなかなか哲学的でもあり、理性的でもあったので、私はこれをお遍路のテーマに据えました。実際の動機は、先回書いたように「元を取らねば」といった下世話なものでしたが、テーマくらいは高尚にいきたいじゃないですか。
とはいえ、修行の旅というのがどの様なものかわかりません。想像では「肉類を食べない」とか「異性に対して関心を寄せない」とか「人とあまり口をきかない」などが浮かびます。ヒキコモリ気味な性格上、「人とあまり口をきかない」というのは何とか守れそうですが、それ以外はてんで自信がありません。だからこそ、私はお遍路に立つ前に「最後の晩餐」と称し、仲間と「異性込みで肉を食う集まり」(飲み会)を何度も何度も開いたのでした、「これでしばらく肉食えないんだよね〜」などと誇らしげにのたまいながら。
<次回予告:「旅立つ者」>
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